スミソニアン体制とは

ニクソンショック後に崩壊した固定相場制を多角的な通貨調整によって再度復活させた国際通貨体制のこと。第二次世界大戦後の国際金融制度は金と交換性のある米ドルを基軸通貨とした固定相場制をとるブレトン・ウッズ条約でスタートした。しかし1971年8月のニクソン米大統領のドルと金の交換性停止などの新経済政策の採用、いわゆるニクソン・ショックによって主要通貨は変動相場制に以降し、ブレトン・ウッズ条約は崩壊した。このような混乱を立て直す目的で1971年12月にワシントンで開かれた10ヶ国蔵相会議で合意された多角的通貨調整はスミソニアン合意と呼ばれる。ドルを1オンス35ドルから38ドルに切り下げたり、円を1ドル=208円とするなどの調整が行なわれ固定相場制のスミソニアン体制が確立した。「スミソニアン」はスミソニアン博物館が会議場であったことに由来する。
しかし、1972年6月にはポンド危機によってポンドが早くも変動相場制に移行したのを皮切りに1973年3月までに円を含む主要通貨が固定相場制を離脱し、スミソニアン体制も崩壊した。